2 0 1 7 年 1 1 月 0 6 日
これはいいメッセージだね、とか、このメッセージ性の強さに惹かれたよ、とか、そんな風に言われることに憧れている。
メッセージというのは言い切るから、メッセージになるのだという。何かを断定し、言い切ることはとても難しいし疲れることだ。思ったり考えたりした最後にあるのがメッセージだとして、それは結晶のようなもので、とても尊く価値があるものだと思う。
そう思うから、自分の言葉で、自分のメッセージを発せられる人が僕の目には強く映る。
そこに至るまでのよっぽどな背景があったのか、その人の感受性が鋭いのか、そのどちらもかもしれないけれど、僕にはとても強く映る。
僕も何かを主張したいし、何かを訴えたい。
臆することなくメッセージを発せられる人になりたいと強く思っている。
ところがこれっぽちも自分の主張らしい主張が、メッセージらしいメッセージが出てこないのだからどうしようもない。
無理してまでひねり出したメッセージは不完全なものだと思うし、不相応だと思う。
幸せ過ぎて言葉が出ないというのは、こういう状態のことをいうのかもしれない。
ひと目に、綺麗な人だと思っ
た。会議室の扉が開いて、ひ
ょこっと顔を出したのが彼女
だった。素朴に、だけど品の
ある、紅茶のシフォンケーキ
のような顔立ちをしていた。
優しい味があった。それが2
年前のことだ。
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